2017年3月11日 (土)

気になるニュース 702

プリンターが使えなくてソース記事の画像貼れなかったけど
引用書き起こし開始。

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*福島 後始末なしに復興ない 「異常」が「日常」の怖さ…


農林水産省が2015年度に検査した農産物など約26万品目のうち、放射性セシウムの基準値を超えたのは264品目だった。わずか0.1%。一方、昨夏の調査で回答した福島県民約1400人のうち38%が食品に放射性物質が含まれないか、「時々」もしくは「いつも」気にしており、73%が県産米の全量検査の継続を望む。原発事故が起きて6年。放射能を気にしながら生活する、この「異常」な日々はいつになったら終わるのか-。 (白名正和、池田悌一)


◆福島 終わらない苦闘


「大丈夫、安心ですとは言えない。気にするなら買わないでくださいと言う。『自信ないのに売るのか』と怒られることもある」

福島県大玉村の専業農家、鈴木博之さん(66)はそう苦笑いする。

田んぼ約10ヘクタールを耕して40年以上。昨年はコメ約60トンを収穫した。検査で全てが食品の放射性物質の基準値を下回ったが、今も土に放射性セシウムが残る。完全に「ゼロ」と言い切れないところがつらい。

「江戸時代の先祖から受け継がれてきた経験を生かし、米作りを極めたいとやってきた。それに、ほかにないもんね」

6年前、年に5回以上、コメを購入する固定客が240人にまで増えていたが、東京電力福島第一原発事故によって8分の130人ほどに激減した。2007年からコメを加工して作っていた団子も売れなくなり、年間約4千万円あった売り上げは半減した。

原発が爆発した日、「60キロも離れているから無関心だった」が、やがて、福島県産の農産物から基準値超の放射性セシウムが検出され、大玉村産のホウレンソウからも出た。「とんでもない。売れなくなる、決まったな」と妻に語りかけた言葉を忘れられない。

それでも、11年も米作りを始めた。「百姓は習性と本能で田植えをする。大げさかもしれないが、作らないという言葉がDNAの中にないから」

結局、福島県産米から放射性物質が検出され、鈴木さんのコメもほとんど売れ残り、倉庫にうずたかく積まれた。睡眠薬なしでは眠れない日もあった。「自殺した農家がいたよね。俺も考えたことが、なくはなかったよ」

「廃業しかないのか」。妻と話し合ううち、逆に、「せめて一太刀あびせてやりたい」と闘争心が湧いてきた。「土を壊された」として器物損壊罪で東電を告訴した。受け入れられなかったので、コメ販売を妨げた威力業務妨害罪で告訴したが、やはりダメだった。

一方で、1410月、農地の放射線量を事故前の値に戻すことを東電に求め、ほかの農家と一緒に福島地裁郡山支部に提訴した。裁判外紛争解決手続き(ADR)で原状回復を求めたが、東電が「除染は国が行うことになっている」と応じなかったからだ。

「事故で汚したら後始末をする。小学生でも分かる。普通の会社は誤ったことをしたら、給与をゼロにしてでも責任を取る。東電には責任の概念がない。あれは会社じゃない」

判決は来月14日の予定だ。「事故の後始末はちゃんとする、そんな当たり前の判決を期待する」

そんな闘いを続ける鈴木さんに、周囲の農家から、何度かこんな言葉をかけられた。「おまえのように騒ぐ人間がいるから、風評被害がなくならないんだ」

放射能の問題を伏せ、早く復興をという意識からだろうが、鈴木さんはこう指摘する。

「後始末なしに、復興はない」


◆「安心のため」検査続ける直売所

福島県郡山市の県道沿いにある農産物直売所「ベレッシュ」。建物内に入り、すぐ左手の小部屋のガラス窓に「放射能分析センター」と表示があった。銀色の機械の前で女性2人が作業をしている。

「仕入れ先ごとに野菜や果物の検査をしている」とベレッシュ専務の武田博之さん(35)が説明した。

国は一般食品の放射性セシウム基準値を1キロ当たり100ベクレルと定めているが、ベレッシュは20ベクレルに設定する。より厳しいが、「2年以上、全く引っかからない。でも、まだ不安に思っている県民は多いから、少しでも安心してもらうために続けています」。

地元農家が事前に持ち込んだ500グラム分の野菜を検査し、20ベクレル未満を確認した上で、店頭に並べる。

分析センターに入ると、ネギや長芋、春菊など十数品目がかごに入っていた。女性がブロッコリーを軽く洗った後、ミキサーですりつぶし、プラスチック容器に入れて測定機へ。30分後、モニターには「不検出」と表示された。

武田さんが地元農家らとベレッシュを設立したのは09年。ラベルに生産者名と詳しい産地を記し、「顔が見える農産物」を売りに、客足を伸ばしていた。

11年、原発事故で状況は一変する。ホウレンソウなど農家が丹精して育てた野菜の数々が出荷制限対象となり、店に並べられなくなった。出荷を認められた農産物もあったが、地元の住民の多くも「福島産」を手に取らなかった。

見せるしかない。「うちの野菜は本当に安心で安全だということを、目で見て分かってもらおう」(武田さん)と始めたのが、ガラス張りの自主検査だった。1210月以降、県の補助金で測定機3台を導入し、今年1月からは非破壊型の機械も使って検査する。

県産のネギやジャガイモを買っていた地元の箭内(やない)秀子さん(68)は「スーパーもちゃんと検査をしていると思うが、目の前でやってくれると安心感が違う。千葉や茨城から来た友だちにも『地元のいい野菜がある』と勧めたほど」とほほ笑む。

だが、孫(17)の食事には「県外産を使うことが多い」と明かす。安心感はあるが、「不安」が全くないわけではないようだ。

男性(26)が、長女(1つ)に県産のイチゴを試食させていた。「全然気にしない。もう6年もたっているわけだし」。一緒にいた妻(42)は違った。「正直心配ですよ。一つ一つ全てを検査しているわけではないだろうし。ちょっと疑っているところはある。『まあ、大丈夫』と思い込もうとしています」と表情は硬かった。

リンゴの納品に来た農家有我光雄さん(62)は「事故直後は、せっかくのリンゴが廃棄されてつらかった。自主検査はありがたいが、頭ん中では『やんねえでいい日が来ねえかな』と思っているよ」と話した。

近年は野生のキノコなどを除き、人が栽培管理する農産物から、基準値超の放射性物質はほぼ検出されない。だから、「自主検査せずに売っても問題ない」と武田さん。「でも、売れるかどうかは別問題だ」

「初めて来た人からは『ここまでやっているの』と驚かれることがある。でも、ここまでやらなきゃ買ってもらえない。こんな検査までしているのは福島くらいでしょ。これが日常になってしまっているのは怖いこと」と本音を吐露した。

「ふと、いつまで続くんだろうと考えることがある。5年後ですか。10年後ですか。何年たったらやめられるという確信が持てない。原発事故がなければ、農家や私たちがこんな思いをすることはなかった。本当に悔しい」


[デスクメモ]
「大人たちは一億玉砕と言っていたから、自分も死ぬんだ、と思っていた」。亡くなった父は、1945年当時の心境をそう語っていた。当時、14歳だった。米軍の投下した焼夷(しょうい)弾で自宅が焼けても「異常」ではなく「日常」だったという。感覚をまひさせてはいけない。(文)


2017311日 東京新聞:こちら特報部
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2017031102000139.html

 

2015年3月 9日 (月)

気になるニュース 701

 

「本当に愚かとしかいいようがない」・・・
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*再稼働…問われる危機感 高村薫さんに聞く「原発と日本」 

間もなく4年を迎える東京電力福島第一原発事故。2月には放射性物質を含んだ汚染水の大量流出が発覚し、事故収束の難しさと、問題を10カ月間隠してきた東電の無責任体質が浮き彫りになった。安倍晋三政権が再稼働路線をひた走る中、原発とどう向き合うかがあらためて問われるニッポン。社会派作家の高村薫さん(62)に聞いた。(高橋雅人)
 


◆福島の悲劇 風化進んでる
 

──再稼働への動きが加速している。
 

「国民の間で、福島原発事故の風化が進んでいることがそれを許しているのではないか。本来、国民全体で悲しむべき事故が、福島限定の悲劇にとどまっている。私たちの危機意識が低いからだ。報道で知るだけでは想像力を働かそうにも限界がある。事故現場に一度でも立てば、誰でも事の重大さに気づくはずなのに、それができていない」
 

──再稼働一、二番手とされる関西電力高浜原発34号機(福井県)は原発テロを題材にした小説「神の火」(1991年)の舞台のモデルだ。
 

「あの作品はチェルノブイリ原発事故(86年)と湾岸戦争(91年)がきっかけだった。関西生まれの私にとって福井の原発銀座は身近。そこへミサイルが飛んできたら西日本が全滅すると思い、背筋が寒くなった。北東アジアの国際情勢が平和とは言えない中で日本が原発を動かすのは人質を取られているようなものだ。あの時初めて日本に原発はあり得ないと思い、世に問うことにした」
 

──福島の場合、テロではなく地震だった。
 

90年代、テロや戦争で原発が襲われたら日本が壊滅するというのは想像できたが、地震までは思いつかなかった。日本の科学者たちもチェルノブイリ後に『日本の原子炉は多重防護システムで大丈夫だ』と説明していた。ところが、福島の事故では(水没した)非常用電源が本来あってはいけない場所に設置されるなど初歩的な不注意があった。チェルノブイリの時の説明はうそだった」
 


◆「秘密主義」で国民置き去り
 

──原子力には隠蔽(いんぺい)体質があると。
 

「私の世代は原子力の火は希望や明るい未来、輝かしい科学技術の象徴みたいな受け止め方をして育ってきた。平和利用が一概に間違っていたとは思わないが、一番欠けていたのは情報公開。不透明で、秘密主義だった。その曖昧さを国民は受け入れてきた。2月に発覚した福島の汚染水流出で東電が公表しなかったのも国民が許してくれると思ったから。企業の楽観論に政治が乗っかり、国民は置き去りにされている」
 

「東日本大震災後、日本人は自分たちが築いた文明に懐疑的になり、立ち止まって考えると思った。ところが全然違う。一体、日本人は何人死んだら立ち止まるのか。15000人余りでは足りないのだろうか。だいたい太平洋戦争で300万人も亡くなったというのに、今の政治家は懲りていないというか、戦争への反省がない。本当に愚かとしかいいようがない」
 

──福島の事故は作家人生に影響を与えたか。
 

「自分も含め人間は愚かだと思うはんめん半面、よりよく生きる意思を持てると思っている。私は原発を動かしたくないので絶対節電するという意思を持って生活している。価値観は多様であっていいと思うけれど、最終的に人間の生き方はそれほど違わない。うそをつかないとか、人をだまさないとか。人が住めなくなるようなところをつくっちゃいけないというのも同じ」
 

「これまで経済とか科学技術とかに目を向けてきたが、今はもう生きているものが大切に思えてしょうがない。私たちは阪神を含め二度の大震災を経験し、生と死が隣り合わせだと感じている。人間はたくさんの人の死と向き合った時、不思議なことに生への意思も芽生える。土をテーマに作品を書いているが、それは自分の体が立っていると実感できるから。チェルノブイリの汚染地で最も早く回復したのは草木だった。だから、命を考えると、やっぱり土が大事だと思ってしまう」
 



[高村薫(たかむら・かおる)]
 
1953年、大阪府生まれ。国際基督教大卒。商社勤務を経て90年、「黄金を抱いて翔べ」でデビュー。93年に「マークスの山」で直木賞受賞。代表作に「神の火」のほか「レディ・ジョーカー」「新リア王」などがある。現在、月刊誌に「土の記」を連載中。大阪府在住。



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2015
39日 東京新聞:核心
 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kakushin/list/CK2015030902000131.html

 

 

 

2015年1月 2日 (金)

気になるニュース 700

 

元旦の東京新聞は侮れない・・・
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*新年企画「不屈の人」 窪川原発を止めた人・島岡幹夫さん 


戦後70年。敗戦やベトナム戦争、福島原発事故など戦後史の節目で、常に問われてきたのはこの国の市民社会だった。個人に根ざした社会は成熟せず、いじめに端的な「長いものに巻かれる」精神はいまも支配的だ。しかし、孤立を恐れず、周囲に警鐘を鳴らし続けてきた人びともいた。きな臭さが一段と増す現在、そうした人びとの不屈の歩みから、大切な教訓を学びたいと思う。
 



◆高知・窪川原発を阻止
 

蛇行しながら静かに流れる四万十川の水面に、沈む夕日が反射する。「川底まで見える。きれいだろ」。島岡幹夫(76)が透き通った水を手ですくい上げた。
 

「この水のおかげで海で魚が捕れ、陸で作物が育つ。だから、原発に売り渡すわけにはいかんかった」
 

島岡が生まれ育った高知県窪川町(現四万十町)で原発誘致が持ち上がったのは19806月。当時の町長が誘致を表明した。
 

その18年前、島岡は母親を乳がんで亡くした。放射線治療の副作用に苦しむ母の姿がまぶたに焼き付いていた。8歳で経験した南海大地震(46年)の記憶もあった。「もし、原発が事故を起こしたら、放射能が川にも田んぼにも降り掛かり、故郷が壊れる」
 

誘致表明の数年前から、原発話は水面下で動いていた。島岡は農業の傍ら、自民党員として窪川町の広報責任者を務めていたため、そのことを知っていた。
 

その島岡が「保革の枠を超えて」と旗を掲げ、反対派を組織した。誘致表明直前の805月、共産党主催の集会で訴えた。ちなみに島岡は若い時に4年間、大阪府警に勤めていた。共産党のデモの警戒に当たったこともあったという。
 

その集会で、島岡は「町の有権者は13000人で原発反対の共産、社会、公明支援者は1000人ずつのみ。残りは自民だ。政党の理念で反対しても、数でたたきつぶされる」と訴えた。
 

誘致表明した町長の解職直接請求(リコール)運動に取り組んだ。自宅の牛舎の2階に畳を敷いて急造した「土佐黎明(れいめい)舎」と名付けられた広間が拠点だった。813月に賛成約52%、反対約48%の僅差で、リコールが成立。原発推進派の町長が解職された。
 

だが「勝った」という安心感が、島岡ら反対派の足をすくった。40日後の町長選では前町長が、原発立地は住民投票で決めると戦術を転換し、約54%を得票して返り咲いた。
 

「リコールが成立して少し気を抜いたら、ころっと負ける。力が抜けた」
 

ただ、83年の町議選(定数22)では、島岡も含めて反対派が10人当選。賛成派は12人いたが、それまで8割以上が賛成派だった町議会の構成を大きく変えた。
 

その後もせめぎ合いが続いた。右翼の街宣車も現れた。スーパーマーケット店員の男性(40)は「家庭内でも賛否が割れていた。まさに町が二分されていた」と当時を振り返る。
 

身の危険にさらされたこともあった。「町で急発進した車にひかれそうになった。電柱の陰に飛び込んだが左足をひかれ、いまも足が曲がったまま。演説中、賛成派の漁師に右脇腹を刺されたこともあった」。自宅には「おんしの家に火を付けるぞ」といった脅迫電話が毎晩かかってきた。
 


◆孤立20年超 「原発あっても町栄えぬ」
 

864月、チェルノブイリ原発事故が起きた。潮目が変わった。推進派は「日本であんな事故は起きない」と安全神話を持ち出したが、事故が報道されるにつれ、島岡の言葉に耳を傾ける人たちが増えた。 

翌年12月、立地候補地に近い漁協が立地調査の実施を拒否。883月の町長選で、推進派の後継候補が敗れ、反対派が推す候補が初当選した。同年6月、町議会が「これ以上は原発の話をしない」という趣旨の終結宣言を全会一致で決議し、原発騒動は反対派の勝利で幕を下ろした。
 

ところが、島岡を待ち受けていたのは苦難だった。
 

「島岡は町政混乱の元凶じゃ」。周囲の目は冷たかった。「町中を歩いても、誰も話し掛けてくれない。町議として県庁へ要請に行っても、誰も取り合ってくれない。原発反対で一番目立っていたのは俺だから、風当たりがきつかった。村八分。犯罪者扱いだ」
 

時間の経過とともに、反対派の仲間からさえ、「原発があった方がよかったんじゃないか。ほかの町では建てているじゃないか」という声が漏れてきた。
 

「身近な人までもが半信半疑だったのかと思うと、やりきれなかった」
 

原発誘致の阻止後も町議を務め続けたが、原発騒動の終結を宣言した手前、反対論を町内で強調することははばかられた。原発反対への懐疑論が少しずつ広がっていく中で、声を上げることができなくなった。
 

「故郷を思って打ち込んできた10年以上の時間がばからしくもなったし、自分が間違っているんじゃないかと疑った時もあった」
 

だが、世論の転機は再び訪れる。113月の福島原発事故だ。これで窪川町民の島岡評は一変した。
 

「原発を止めてくれてありがとう」「おまんのおかげで高知は安心じゃ」「窪川のヒーローじゃ」と言われ、握手も求められた。
 

町民のタクシー運転手の男性(50)は「私は推進派だったけど、いまは原発がなくてありがたい。いま思えば、当時は後先考えずにやっていた」と話す。
 

島岡は「それまで俺を避けた人が、事故後は途端にニコニコ。その手のひらの返し方に戸惑った。生きている間に評価されるとは思わなかった。やっと分かってもらえたという気持ちの半面、何をいまさらという思いもあった」と言う。
 

とりわけ、「英雄扱い」には閉口した。「福島の悲劇はつらく悲しく、その土地の人を思うと心が痛む。俺はヒーローなんかじゃない。福島の人たちを救うことができなかった。むしろ情けなくなった」
 

町外での講演は、求めに応じて福島事故前から続けてきた。現在も月に12回、講演する。そこでは必ず「カネは一代、生命は永遠。原発があっても、町が栄えることはない。原発の危機と引き換えの補助金に頼って生きるより、豊かな自然を子孫に」と語る。
 

その思いは現在、地元での子どもたちとの活動にも反映されている。
 

昨年末、島岡は地元の小学校近くにある林で、児童らと一緒にアジサイの苗木を植えた。「この活動も、原発反対と根は一緒だ」
 

最近は地元の子どもたちでも、林の中に入ることは少ないという。「これじゃあ、自然を通して地元を愛する気持ちは生まれてこない。郷土愛がないと、また原発に故郷を売ろうという連中が出てしまう」
 

子どもたちが土いじりに悪戦苦闘する姿を目の前にして、島岡はこうつぶやいた。「故郷を愛する気持ちが連綿と続くように若い世代に教えていかんと。そのためには、自然に触れあうことが一番じゃ」(白名正和、文中敬称略)
 


[デスクメモ]
 
「おめでとう」と言いにくい。総選挙後、特定秘密保護法による秘密指定が始まった。新たな戦前かもしれない。だから読者の皆さんにもお願いしたい。勇気を奮って、情報をどんどん提供してほしい。情報は権力の源泉なので、その暴露は権力を揺さぶる。「不屈」に学びつつ、今年もゲリラ戦に挑みたい。(牧)



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201511日 東京新聞:こちら特報部

 http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2015010102000134.html

 

 

2014年11月 7日 (金)

気になるニュース 699

「放射能の勉強もしてほしい」・・・
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【別冊 南海日日新聞】 伊方50キロ圏 市民ら人権宣言


「原発事故により避難や移住させられる状況を拒否します」─。四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)の再稼動に反対する市民団体「伊方原発50キロ圏内住民有志の会」が「私たちの人権宣言」をまとめた。


◆命と核 共存できない

宣言は7カ条で構成され、重大事故時に放射能汚染や周辺住民の避難・移住、作業員の被ばくを強いる原発を拒否した。事故が発生した場合は、再稼働を許可した国や県、立地自治体の民事、刑事上の責任を問うことも明記した。

有志の会には、人権教育に取り組んできた元教員、有機農業者、有機食品購入の組合員女性、菓子店自営業者、そして筆者も参加している。井戸川克隆・前福島県双葉町長は、今年前半に伊方町などで開いた講演会で「原発事故による避難を受け入れると、後は悲惨な避難生活があるだけ。原発を動かさないことが必要だ。避難計画は拒否するべきだ」と訴えた。これが宣言の起草につながった。

筆者らは先月24日、伊方町に隣接する八幡浜市の橋本顕治副市長と面会。「命と核は共存できない。私たちの安全と生存を自らの行動で獲得しようと決意しました」と説明した上で、宣言文を手渡した。その際、川内原発や伊方原発の避難計画の不備にも言及。特に高齢者は事故時には逃げることもできず、自宅での屋内退避しか手がないことを指摘した。

橋本副市長の対応は「心配されていることは承知している」と丁寧だったものの、「中立的意見や放射能の勉強もしてほしい」などと電力会社の決まり文句も飛び出した。どこまで真剣に市民の安全を考えているのかは疑問だった。

宣言は、安倍晋三首相や中村時広愛媛県知事、伊方町など50キロ圏内の自治体首長にも提出した。有志の会は今後も、宣言への賛同者を増やす運動に取り組んでいく。(近藤誠・元南海日日新聞記者)=随時掲載



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201411月日 東京新聞朝刊 こちら特報部:[話題の発掘]より

 

気になるニュース 698

 

川内再稼働 賛成を採択』・・・
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*九電原発依存 頼る九州経済 売上高桁違い 


20149月中間連結決算は、電力大手10社のうち九州電力だけ純損益が赤字となった。赤字脱却には、川内原発(鹿児島県薩摩川内市)のほか、玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働も必要だという。そんな再稼働を地元企業の多くも待つ。九州で断トツ、約17000億円の売上高を誇る九電が利益を出さないと、経済的に潤わないという地元の事情が、背景にある。(沢田千秋、篠ケ瀬祐司) 


◆「優等生」電力唯一の赤字
 

「原発が4基あってこそ収支は安定する」。中間決算を受け、記者会見した九電の瓜生道明社長はそう語った。4基とは、再稼働申請中の川内原発12号機と玄海原発34号機。九電の経営は、玄海原発12号機を含む計6基のフル稼働で成り立っていた。東京電力福島第一原発事故前の109月中間決算は、原発がフル稼働し218億円の純利益を出している。
 

10年度、九電の供給電力量に占める原発の割合は39%だった。原発設備の故障や事故が少なく、設備利用率は全国平均の約7割を上回る8割を維持し、電力関係者から「原発の優等生」と言われた。 

だが、原発の再稼動をできず、昨年の電源別発電量は石炭火力33.6%、液化天然ガス(LNG)火力37.1%、石油火力18.4%。円安や燃料価格高騰で、石炭、石油、LNGなどを合わせた燃料費は、10年度の2800億円から13年度は7500億円に激増した。
 

さらに、原発を新規制基準に適合させるため、安全対策費3000億円が重くのしかかる。
 

九電は他の電力会社同様、経営効率化を目指した。設備の定期点検周期を延ばし、規模を縮小し、修繕費を20年前の半分に抑え、広告宣伝費、研究費など諸経費も削った。役員報酬カットやボーナス見送り、新規採用の抑制などで人件費も削った。それでも、九電だけが約360億円の純損益になったのはなぜか。
 

九電によると、九州は山間部や離島が多く、送電効率が悪い。1キロ当たりの契約口数は57.3口で、10社平均77.9口を大きく下回る。離島も多い。沖縄県を除く全国の離島の62%の電力を九電が供給する。離島は需要密度が低く島ごとに発電設備を設置するため、燃料の輸送費もかかり、発電コストは九州本土の2倍に達する。
 

台風被害も他の電力会社より多いという。19512013年の都道府県別の台風上陸数ランキングで、ベスト101位の鹿児島県を含む九州4県が入る。一度の台風で電柱数百本、電線数千カ所が被害を受けることもある。
 

しかし、より発電効率が悪く原発依存度が高い他の電力会社が同時期、黒字だったことも事実だ。九電の広報担当者は「値上げの時期と改定額」を赤字の理由に挙げた。昨春、九電は家庭向けを6.23%、企業向けを11.94%値上げした。値上げ幅は、川内原発12号機が昨年7月、玄海原発4号機が同12月、同3号機が今年1月に再稼働すると想定して算出した。再稼働時期が延びるほど差額が生じ、多額の赤字に陥るという説明だ。
 

担当者は「同時期に値上げした関西電力は11基あるうちの4基が再稼働想定時期を過ぎたが、6基中4基を見込んだ弊社より差額は少ない」と話す。再稼働の想定時期について、瓜生社長は記者会見で「当時の判断だったとしか言いようがない。原子力の安全担保のために必要な期間だったと思う」と述べた。
 


◆関連会社は71
 

ともかく、原発の再稼動は、九電にとって喫緊の課題だ。瓜生社長は4日、川内原発の周辺4市町の首長と鹿児島市内で会談し、安全対策などを説明した。先月の会談と合わせて、立地自治体の薩摩川内市を除く原発30キロ圏の8市町の首長への説明を終えた。
 

瓜生社長は説明後、記者団に「一定のご理解はいただけたのではないか」と話した。各首長から大きな反対論は出なかったようだ。
 

だが、原発事故が起きれば、周辺自治体は大きな被害を受ける。地元紙の南日本新聞が4月に鹿児島県内で行った世論調査では、6割近くが再稼働に反対だった。それでも首長から目立った反対論が出ないのは、なぜか。
 

鹿児島国際大の八木正准教授(環境経済論)は「九州最大の企業であり、電気事業をほぼ独占する九電の影響力はものすごく大きい。再稼働に反対することで、(国や県による)公共事業など、行政全般に及ぼす悪影響も心配しているのだろう」と分析する。
 

確かに、九電は九州の企業の中で突出した存在だ。
 

東京商工リサーチの資料によると、143月期決算の九電の売上高は16829億円で、九州でトップ。福岡県の14年度の一般会計当初予算額とほぼ同じだ。2位のトヨタ自動車九州は7863億円、3位のTOTOが3985億円とは桁が違う。
 

九電の従業員は約13000人。帝国データバンクによると子会社・関連会社は計71社。地元経済界をリードする九州経済連合会の会長は、発足から7代続いて九電出身者が就いた。
 

財団法人「九州経済調査協会」(福岡市)は3月、九電の原発停止が九州経済に与える影響を試算した。燃料費の大幅増加などのコスト増や人件費・設備投資削減の損失は5272億円。福島第一原発の事故前、10年度の九州の域内総生産(GRP)は約44兆円だったから、試算した損失は1.2%にあたる。
 

田代雅彦調査研究部長は「低成長時代に1.2%は大きな数字。これは一次的な影響で、他企業の設備投資減少など二次的影響を加えると、負の影響額はさらに増える。東京には多くの大企業が本社を構えているが、九州では九電の存在感は圧倒的だ」と解説した。九電の代わりとなる企業が九州にはないわけだ。
 

経費削減で、九電が各地のオール電化などのPR施設を閉鎖し、テナントに空きが出るといった影響も出ている。鹿児島市中心部の一等地にある鹿児島商工会議所ビルでは3月末に契約が終了し、約700平方メートルが空いている。
 

地域への寄付も減った。震災前の3年間は年平均で総額14億円を寄付していたが、12年度は約4億円。13年度は1億円に激減している。
 

「原発停止でホテル旅館・民宿業はもとより、サービス業、バス・タクシー業など関連業種の売り上げ減少などの影響が拡大する」。約70団体でつくる「薩摩川内市原子力推進期成会」は、早期再稼働を求めて市議会に陳情した。
 

前出の八木准教授はエネルギー行政への市民の参加や九電だけに頼らない経済の実現が望ましいと説く。
 

「九電は自然再生エネをどう進めるかなどを、市民の意見も聞きながら進めるべきだ。各地でガス会社が電気事業に参入する動きが出始めた。これらに取り組む事業者が将来、九州全域で相互協力することで変化が生まれるのではないか」
 


[デスクメモ]
 
リース会社に勤める友人が札幌支店に赴任した際、「支店全体で出す利益を、東京本社は社員一人で出している」と口にした。東京と地方では、経済の「地力」にそれほどの差があると言う。政府は「地方創生」を最重要課題とし、関連法案が臨時国会で成立する見通しだが、地方経済の活性化は容易ではない。(文)



Tokuhou




2014117日 東京新聞:こちら特報部 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014110702000163.html

 

2014年10月22日 (水)

気になるニュース 696

 

法的裏付けなし・・・
引用書き起こし開始。 

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*手続き進む川内原発再稼働 避難計画不安根強く 



九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)をめぐり、同市議会は二十八日に開かれる本会議で再稼働を容認する見通しになった。地元同意に向けた手続きが着々と進む一方、住民の中には県や市が大事故に備えて策定した避難計画への不安が依然くすぶっている。(浅井俊典)
 


■丸投げ
 

「避難計画は本日の課題ではありません。質問は説明のあった新しい規制基準や審査結果に限ります」
 

今月9日から20日まで原発から半径30キロ圏内のうち5市町村で開かれた原子力規制委員会の住民説明会。薩摩川内市の説明会で、規制委側は冒頭、くぎを刺すのを忘れなかった。
 

再稼動の前提として規制委が新規制基準の下で行った適合審査で、川内12号機は基準を満たすと判断された。ただ、審査したのは地震や津波、事故の対策などで、避難計画は初めから対象外。質問に立った男性が「避難計画は地元の大きな関心。説明の機会を設けてほしい」と求めると、大きな拍手が起きた。
 

そもそも原発事故時の避難計画は、原子力災害対策特別措置法などで地方自治体が策定することになっている。政府の原子力防災会議が912日に了承した鹿児島県や薩摩川内市などの計画では、放射線量や風向きに応じて県がデータベース化する避難施設の中から最適な避難先を伝えるほか、入院患者など自力で動くことができない人をバスで移送させるとしている。
 

市の防災担当者は「福島第一原発事故で生じた問題点を踏まえ、これまでの計画を見直した。国との連携もあり、基本的な対策はできている」と強調する。
 


■移動手段
 

しかし、地元には計画が想定通りに運用されるのか不安が根強いままだ。
 

例えば、原発の半径5キロ圏内で唯一、入院病棟がある私立病院。患者は鹿児島市内の4病院で受け入れる計画だが、移動手段の大型バスを確保できていない。県外のバス会社に要請したが、「運転手の安全が保証されなければ出せない」と断られたという。
 

問題は病院の患者だけではない。原発から12キロの自宅に住む薩摩川内市の小城(こじょう)武紀さん(73)は肺に難病があり、酸素を送り続ける機械と薬を手放せない。「受け入れ先に薬や設備がないと命にかかわる」と危惧する。車いす生活の夫を介護する同市内の主婦(70)も「私一人では夫を車に乗せることもできない。避難なんて考えられない」と話す。
 


■蚊帳の外
 

地元の不安が解消されないことについて、九州大の吉岡斉教授(原子力政策)は「避難計画の妥当性を判断する法的な裏付けが何もない。規制委が何らかの審査をすべきだ」と話す。米国では1979年のスリーマイル島原発事故後、規制委のモデルとなった米原子力規制委員会(NRC)が避難計画を厳しく審査。基準をクリアできなければ運転を認めず、廃炉に追い込まれた原発もある。
 

薩摩川内市議会は20日の特別委員会で再稼働に賛成する陳情を賛成多数で採択。県議会も2728日に特別委を開き、地元同意の手続きを本格化させる。一方、県と薩摩川内市以外の8市町村は同じ30キロ圏内で避難計画も策定しているのに、同意は求められておらず、「蚊帳の外」に置かれている。
 

東京大総合防災情報研究センターの関谷直也特任准教授(災害社会学)は「住民にとって最重要の問題である避難計画が実効性を伴っていない段階で、再稼働を進めるべきではない」と批判している。




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20141022日 東京新聞:核心 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kakushin/list/CK2014102202000133.html

 

気になるニュース 695

 

えげつないなー・・・
引用書き起こし開始。 

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【別冊 南海日日新聞】 反原発 妨害に屈しない 



「原子力の日」(1026日)に対抗する「伊方集会」が19日、愛媛県伊方町の四国電力伊方原発ゲート前で開かれた。1986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故の翌年から続き、今回で28回目を迎えた。あらためて反原発運動を振り返ると、思い浮かぶのは、さまざまな嫌がらせである。
 


◆原子力の日に対抗…伊方集会
 

集会は、チェルノブイリ事故後に誕生した四国各県の反原発グループを結集した「原発さよなら四国ネットワーク」が主催する。当初から参加を続けている「八幡浜・原発から子どもを守る女の会」の斉間淳子代表は「地元で長い間反対を続けている住民の皆さんは決して孤立しておらず、多くの周辺住民も反対しているのだということを行動で示して勇気づけたいという思いだ」と強調した。
 

「原子力の日」は、1956年に国際原子力機関(IAEA)への加盟を決定した日と、63年に初めて原子力発電に成功した日が1026日であったことから政府が定めた。福島事故後は、伊方でも脱原発集会は頻繁に開催されている。だが、事故前は年1回の「伊方集会」が、反原発をアピールする貴重な機会だった。なかなか声を上げることができなかったのは、反原発派への嫌がらせがひどかったからである。
 

90年代には、斉間さんの自宅に突然大量の家具が無断で送り付けられたり、1日に数十通もの匿名の封書が届いたりした。「お宅には小学校に通うかわいい娘さんがいますね」といった脅迫電話もあった。斉間さんは毎日学校まで付き添わなければならなかった。南海日日新聞社宛ての封書には、社屋を撮影したコピーが交っていた。「いつも監視しているぞ」というわけだ。犯人は不明だ。 

運動妨害を狙った誹謗(ひぼう)中傷をはね返すためには、脱原発への決意と地域の連帯をなお一層強めなければならない。(近藤誠・元南海日日新聞記者)=随時掲載




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20141021日 東京新聞朝刊:こちら特報部[話題の発掘]より 

2014年10月19日 (日)

気になるニュース 694

 

ちょっとおかしいのはどっちだ?このブログ記事を思い出した・・・
展示内容の意見公募1024日(金)まで。
引用書き起こし開始。

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*福島に原子力推進の新拠点? 「環境回復」名目のセンター建設 



「福島県環境創造センター」と名付けられた施設の建設が進められている。県立だが、原発推進派と目される人物らが計画に関わっており、原子力のPR館を連想させる。高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)のトラブル隠しを繰り返す日本原子力研究開発機構(JAEA)、チェルノブイリで健康影響を過小評価した国際原子力機関(IAEA)も拠点を置く予定だという。いったい何が狙いなのか。(榊原崇仁)
 


◆「安心神話」色濃い展示
 

「現計画のまま建設が進めば、新たな安全神話の拠点になりかねない」
 

脱原発の市民団体「フクシマ・アクション・プロジェクト」の事務局長、佐々木慶子さん(72)=福島市=はそう訴える。
 

県の肝いりで計画が進む環境創造センターは、東京電力福島第一原発から西に約45キロの三春町にメーン施設、原発の北約20キロあまりの南相馬市にサブ施設が設けられる。
 

5万平方メートルの敷地に建設されるメーン施設には、環境教育用の交流棟や研究棟などを備える。サブ施設では原発周辺の環境モニタリング機能を置く。来年度以降に順次開所する予定で、費用は10年間の運営費を含めて約200億円に上る。 

県の担当者は「事故で汚染された状況を回復するための拠点にしたい。福島ほど大規模に除染を進め、元に戻そうとする試みは世界で初めて。国内外から英知を結集するほか、復興に近づく状況を来場者に伝え、前向きな気持ちを持ってもらいたい」と語る。
 

ただ、計画に携わった面々を見ると、どうにも前向きな気分にはなれない。
 

設置準備検討委員会のトップは、原子力規制委員会の新委員、田中知(さとる)氏が務めた。核燃料サイクルが専門の同氏は日本原子力学会の元会長。原発メーカーの寄付や東電の関連団体から報酬を得るなど、明らかに原子力ムラの住人だ。
 

他の検討委メンバーでは、原子力委員会の元委員を顧問に迎えたNPO法人「持続可能な社会をつくる元気ネット」の関係者がいるほか、文部科学省で原子力政策を担う研究開発局もオブザーバー参加する。
 

6月にスタートした交流展示等検討会には、長崎大の高村昇教授が名を連ねる。同氏が師事するのは「放射線の影響はニコニコ笑ってる人に来ない」と講演した福島県立医科大の山下俊一副学長だ。 

交流棟も細部を見ると、内容の偏りが目立つ。県のレイアウト案によると、館内では原発事故以降の経過をテーマにした映像を流すほか、放射線に関する学習や体験のコーナーなどを設ける。しかし、伝える内容は「着々と進む環境回復」に力点が置かれ、事故をもたらした推進側の体質や深刻な被害、原子力を抑制する難しさは二の次だ。
 

医療や工業での放射線の利用例や、放射線研究者の偉業を紹介する案も出ており、放射線との共生を訴える色合いまで出ている。
 

放射線の基礎知識の展示例としては、低線量被ばくの健康影響に否定的な立場を取る東京大の中川恵一准教授の著書から、イラストを引用している。
 

交流棟展示等検討会の会合では、JAEAの石田順一郎氏が「非常に低い線量を心配して、北海道や沖縄へ逃げた人がいるが、それはちょっとおかしい」と発言している。
 


◆研究棟には推進団体
 

こうした傾向は交流棟だけではなく、メーン施設にある研究棟も同様だ。
 

ここでは主に、JAEAと国立環境研究所が除染技術や放射性廃棄物の処理方法などを研究する。
 

県は「JAEAは原子力、国立環境研究所は環境の各分野で国内屈指の研究機関。環境回復を目指すうえで大きな助けになる」と誘致の理由を説明する。
 

しかし、JAEAは自らのホームページで「原子力の未来を切り拓(ひら)く」「世界一を目指す」と宣言する国内屈指の原子力推進機関であり、実際、「もんじゅ」などを手掛けている。
 

同時に、不祥事の常連でもある。もんじゅでは201211月に約1万件の点検漏れが発覚し、事実上の運転禁止命令が出た。今月には、もんじゅ内の監視カメラ計180基のうち、約3分の1が壊れたことが判明。1年半以上放置されたものもあった。
 

JAEAの前身、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)時代の1995年には、もんじゅで国内初のナトリウム漏れ事故を起こし、さらに現場映像の改ざんが発覚し、批判を受けた。 

研究棟にはIAEAも拠点を置く予定だ。12年末に県との間で交わした連携協力の覚書に基づき、除染について研究するほか、事故発生時の環境モニタリングについて、各国から研究者を招いて研修をする。
 

ただ、IAEAは一貫して原子力利用に肯定的な立場を取ってきた。
 

91年にまとめたチェルノブイリ原発事故に関する報告書では、住民の健康影響に否定的な見解を示した。だが、その後に子どもの甲状腺がんの多発が明らかになり、IAEAの過小評価が問題とされた。 

福島でも、同様の姿勢で介入している。IAEAからは廃炉や除染などの視察団が相次いで福島入りしているが、原発敷地内の汚染水の海洋放出を検討するよう政府や東電に求めているほか、除染の長期目標は年間1ミリシーベルトとなっているにもかかわらず、「20ミリシーベルトの被ばくは許容範囲」という見解を示している。
 

環境創造センターのうち、交流棟の展示内容などについては、県が24日まで意見公募をしている。交流棟が来る三春町在住のパート従業員、大川原さきさん(62)は「町の施設ではないから、町民の大半は何ができるのか、まだよく分かっていない」と話す。
 

地元の事情はお構いなしにセンターの概要は固まりつつあるが、福島大の後藤忍准教授(環境計画)は「大切なことは、二度と原発事故を起こさせないということ。そのためには事故の教訓が何かを検証し、広く伝える拠点こそが求められている。被害については、県の責任もまぬがれない。そこから目を背けるようでは、福島の教訓を生かすことはできない」と語る。
 

三春町在住で、福島原発告訴団長の武藤類子さん(61)は「県は復興の名を借りて、国内外の原子力推進機関と『事故が起きても問題は大きくない』と発信しようとしているだけだ。この施設は再び原発事故を招く温床にすらなりかねない」と批判し、こう訴えた。
 

「県内の小学5年生全員が、一度はセンターを見学するという方向で話が進んでいるとも聞く。幼いころから、原発の安全神話、放射性物質の安心神話で洗脳するような拠点づくりを絶対に許してはならない」
 


[デスクメモ] 
特攻隊の気分が分からなかった。お国のために死ねと言われ、なぜ命を捨てられたのか。正気じゃない。でも福島原発事故後の世界を生きて、少しは分かる。あれほどの犠牲を住民に強いた犯罪的な一群がいま、大手を振っている。お上に率先して従いたがる習性。おぞましいと感じる神経だけは手放すまい。(牧)



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20141019日 東京新聞:こちら特報部 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014101902000152.html

 

2014年10月16日 (木)

気になるニュース 693

 

あの手この手で再稼動に必死なのか・・・
引用書き起こし開始。 

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*「汚染の影響小さく演出」 再稼動へ地ならしか 



政府は今月中にも、福島原発事故に伴う福島県南相馬市の特定避難勧奨地点の指定を解除する。住民たちからは強い反対の声が出ているが、こうした汚染の痕跡を消そうとする試みは政府の常とう手段だ。原発の再稼働に向け、「事故が起きても、それほど問題は大きくない」と演出する意図が透けて見える。(榊原崇仁)
 


●南相馬 避難勧奨解除
 
SPEEDI 使わず
●除染目標の実質緩和
 

解除対象は152世帯で、住民約700人のうち8割が避難している。伊達市と川内村にも特定避難勧奨地点はあったが、指定が続くのは南相馬市だけだ。解除されれば、東電が出す1人月10万円の精神的賠償は3カ月で打ち切られる。
 

解除が具体化し始めたのはここ1カ月のこと。政府は先月26日、対象世帯が解除基準の年間被ばく線量20ミリシーベルトを下回ったと公表。今月3日には、高木陽介経済産業副大臣が南相馬市を訪れ、月内の指定解除を検討していると、桜井勝延市長に伝えた。
 

桜井市長は「納得していない」と発言し、8日からの住民説明会でも反対意見が続出。10日は特定避難勧奨地点がある行政区の区長らが上京し、反対集会や記者会見を開き、内閣府原子力被災者生活支援チームなどにも申し入れた。
 

参加した藤原保正・大谷行政区長は「説明で解除に賛成する住民は一人もいなかった。20ミリシーベルト以下なら本当に安全なのか。何かあった時に医療的な補償を受けられるよう、解除する前に被ばく手帳を出してほしい」と訴える。

支援チームの担当者は「住民の方々の意見を踏まえ、方針を検討している」とするが、解除の先送りは不透明だ。というのも、政府はこれまで深刻な汚染状況を直視してこなかった。
 

事故直後には、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の試算で、大きな健康影響を及ぼす被ばく線量100ミリシーベルト以上の地域が福島第一原発から50キロ圏まで広がることが予測された。だが、政府は情報を隠し、避難の遅れを招いた。
 

このことは、国民に原子力行政への深い不信を抱かせた。それを「教訓」としたのか、原子力規制委員会は今月8日、「予測の不確かさの排除は不可能」という名目で、原発事故時の避難作業でSPEEDIを使わないことを決めた。
 

汚染を直視しない動きは除染でも出ている。
 

政府は除染の長期目標として年間被ばく線量1ミリシーベルトという基準を決め、毎時換算した空間線量の値として0.23マイクロシーベルトを示した。しかし、除染の効果がなかなか上がらず、個人線量計に基づいて除染目標を設定する方針に切り替えた。
 

個人線量計で被ばく線量を測った場合、年間1ミリシーベルトになるのは空間線量が毎時0.30.6マイクロシーベルトの時という報告もあり、実質的に除染目標が緩和されてしまう公算が大きい。
 

国際環境団体「FoE Japan」の満田夏花理事は「放射線の影響が小さいと演出することで、世間の警戒を抑え、現原の発再稼働に向けた地ならしをしようとしているのではないか」と指摘する。
 

居住制限区域の福島県富岡町から、横浜市に避難している坂本建さん(46)はこう憤った。「再稼働のために、被災した私たちがないがしろにされる現在の状況が悔しくてならない」
 


【特定避難勧奨地点】
 
局地的に放射線量が高い地点があることを考慮し、年間被ばく線量の推計が20ミリシーベルトを超える地点が指定される。避難指示が出なかった福島第一原発の20キロ圏外が対象。避難の判断は住民に委ねられている。



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20141016日 東京新聞朝刊 こちら特報部:[ニュースの追跡]より 

2014年10月15日 (水)

気になるニュース 692

 

復習→ 「特定秘密保護法 全文
引用書き起こし開始。 

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*曖昧基準で重罰 秘密保護法運用 問題点を聞く 



特定秘密保護法の運用基準が14日に閣議決定された。政府の意のままに特定秘密が指定される恐れを抱えたまま、同法は1210日に施行されることになった。憲法は権力を縛るためにあるという立憲主義の立場から反対する学習院大大学院教授の青井未帆教授(憲法)と、反対の立場ながらも政府の有識者会議「情報保全諮問会議」の委員として運用基準づくりに携わった清水勉弁護士に、問題点やこれから何をすべきかを聞いた。(西田義洋)
 


◆暴走防ぐ監視を  青井未帆 学習院大教授
 

閣議決定された運用基準では、公募意見(パブリックコメント)を受け、違法な情報は(漏えいが罰則対象になる)特定秘密に指定してはいけないという項目が盛り込まれたが、何を特定秘密にするかは結局、行政の裁量によるという問題点は変わらなかった。恣意(しい)的な運用を許す法自体がおかしい。
 

例えば特定秘密の対象になるスパイ活動の防止やテロ活動の防止について定義が曖昧だ。国内の治安を担当する警察が何をどこまで指定するのかは、本当に運用次第になる。
 

特定秘密保護法案の実質審議が始まった昨年118日。国民の反対の声が高まる中、衆院特別委員会が開かれた。自民党のプロジェクトチーム座長を務める町村信孝元外相は憲法で保障された国民の「知る権利」について「国家や国民の安全に優先するという考え方は基本的に間違いだ」と発言。当時の森雅子内閣府特命担当相は「二つのバランスをいかにとるか考慮する」と答弁した。
 

これは秘密保護法の根底には、知る権利が国家の安全より劣位にあるという考えがあるにもかかわらず、国民の激しい反対で、政府が表面的には「バランスを取る」と装わざるを得なくなったからではないか。
 

今後も秘密保護法が恣意的に運用される可能性を常に爆弾のように抱えた法律だと心に留め、おかしいと言い続けることが大事だ。政府の運用を暴走させないよう、監視し続けなければならない。
 

【あおい・みほ】
 
1973年生まれ。東京大大学院法学政治学研究科修士課程修了。現在、学習院大大学院教授。著書に「憲法を守るのは誰か」など。


◆修正求め続ける  清水勉弁護士 

特定秘密保護法の運用基準で一定の管理ルールはできたが、政府が誠実に運用するかという問題や、改善すべき点は残っている。
 

運用基準では、違法な秘密指定などを通報したことを理由に、通報者に不利な取り扱いをしてはならないとされるが、通報以外の理由を持ち出せば懲戒処分はできる。
 

海上自衛隊の護衛艦「たちかぜ」いじめ自殺訴訟では、いじめを裏付ける内部資料を海自が隠蔽(いんぺい)していると通報した三等海佐に対し、海自は「職務上で得た文書のコピーを任務終了後も保管していた」として懲戒処分を進めていた。
 

通報だけでなく、通報に関連した事情を理由に不利益な処分ができないよう運用基準を修正すべきだ。
 

運用基準づくりを担ってきた情報保全諮問会議の委員は法施行まででなく、施行後も意見を言うことができる。私も修正すべき点は修正するよう申し入れていく。
 

秘密保護法が問題なのは、特定秘密の漏えいなり、それにアクセスしようとすることに対し、重い処罰を科すことだ。本来は、公文書管理法の中で秘匿性の高い情報管理のルールづくりをするべきだったが、政府は秘密保護法でやるという形をとった。今後は、公文書管理のルールを充実させたうえで、なるべく処罰規定を必要としない制度に修正していく必要がある。それができれば、今のような秘密保護法はいらなくなる。
 

【しみず・つとむ】
 
1953年生まれ。日本弁護士連合会の秘密保全法制対策本部事務局長を務め、同法に反対してきた。現在、政府の情報保全諮問会議委員。



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20141015日 東京新聞:核心 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kakushin/list/CK2014101502000133.html

 

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