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2014年5月12日 (月)

気になるニュース 563

 

とても信頼できるアドバイザーの方々の講演・・・
引用書き起こし開始。 

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*「心配ない」とは何だったのか 福島県飯舘村の初期被ばくを追う 



東京電力福島第一原発事故直後の初期被ばくの実態はどうなのか。事故後32カ月経過した今も未解明な部分が多い。事故当初の政府の対応は混乱を極めたが、その中でも、避難指示が遅れに遅れたのが福島県飯舘村だ。行政側は村民の被ばく量の推計を試みるものの、一度失った信頼は戻らない。行政の被ばく隠しに怒る村民が頼るのは、かねて原子力に慎重な姿勢を取ってきた専門家だ。(榊原崇仁)
 



◆国の避難判断 遅すぎた
 

「政府も県も村も全く信用していない」。飯舘村前田地区区長で酪農家の長谷川健一さん(60)は今も憤りが収まらない。
 

飯舘村は全村避難を強いられている。長谷川さんは現在、福島県伊達市の仮設住宅に妻花子さん(60)、両親と暮らす。事故をめぐる行政やメディアのあり方に不信感を抱き、講演活動などを通じて情報発信を続けている。長谷川さんの体験した初期被ばくの状況を検証してみたい。
 

20113月の事故当時、長谷川さん宅には4世帯8人が同居していた。12日に福島原発の最初の爆発があったことは知っていたが、「原発からうちまで45キロ。ここまで放射能は来ないと思っていたので普通に生活していた」。 

2日後の14日、見込みの甘さを痛感した。村役場周辺の放射線量が「毎時40マイクロシーベルトを超えた」と職員から聞かされたのだ。除染の長期目標ともなっている一般人の年間許容線量限度1ミリシーベルトを毎時換算した値(0.23マイクロシーベルト)の170倍以上だ。 

14日までの3日間、津波被害を受けた海岸沿いの浪江町や南相馬市の住民たちが村に続々と避難してきた。長谷川さんは搾りたての牛乳を温め、500人ほどに振る舞った。「大丈夫だったのか」。胸が締め付けられる思いがした。 

長谷川さんは15日、前田地区の住民を集会所に呼び、「むやみに外に出るな」「家の外に出していた野菜は食べるな」と忠告した。16日には、長男夫婦や孫らを千葉県の親類宅に向かわせた。村内でも同じように自主避難する人が増えていた。ところが1週間もたつと村に戻るケースが目立ってきた。「親類に身を寄せていても心苦しくなり、住み慣れた村に帰ってきてしまったようだ」
 

募る危機感とは裏腹に、3月末からは、県放射線健康リスク管理アドバイザーの大学教授たちが村内で「心配することはない」と触れ回った。「本当にそうなのか簡単には信じられなかった」と長谷川さん。
 

ようやく政府は422日、飯舘村全域を計画的避難区域に指定するが、実際に全村的な避難が始まったのはさらに1カ月後だ。政府は、原発から半径20キロ圏内については、事故直後に避難指示を出していた。飯舘村は高い線量が確認されていたにもかかわらず、20キロ圏外であるがゆえに放置されたわけだ。
 

「国の判断は遅すぎた。県のアドバイザーの『心配ない』という言葉は何だったのか。村はそんな説法に『安心しました』と言うだけだった」
 

長谷川さんが村民らの避難を見届けた後、村を去ったのは82日だった。
 


◆平均7ミリシーベルト 県発表の倍 「影響を小さく見せたがる」
 

今月10日、飯舘村の原発災害を振り返るシンポジウムが東京都内で開かれ、京都大原子炉実験所助教の今中哲二さん(63)が、事故直後の村民の被ばく線量に関する調査結果を報告した。
 

今中さんらの調査チームは2011328日の段階で飯舘村に入っていた。「村が深刻な状況にあると伝え聞いていたが、行政からまったくデータが出てこなかったため、私たちで調べようと考えた」。調査チームは放射性物質が付着した土壌を手がかりに、具体的な汚染状況の把握に努めた。
 

手間暇を考えると、村内全域の土壌を調べ尽くし、汚染状況や村民の被ばく線量を網羅的につかむのは難しかった。そこで目を付けたのが米国の持っていたデータだ。
 

米核安全保障局は3月半ばから航空機を使い、福島原発から大量放出されたセシウム137の拡散状況を細かく測定。インターネット上で公開していた。
 

調査チームはこのデータを活用し、飯舘村でのセシウム137の汚染地図を作った。そのうえで、村で採取した土壌のサンプルを分析し、セシウム137と、ヨウ素131など他の放射性物質がどんな割合で含まれているかを確認した。
 

加えて村民個々の行動パターンが分かれば、外部被ばく線量を算出することができる。調査チームは、村民が避難する仮設住宅などを訪ね、事故直前から飯舘村民がほぼ避難を終えた117月末までの行動について聞き取った。協力した村民は、村民全体の約3割に当たる1812人。地域的な偏りはなく、年齢分布も村全体の傾向とほぼ一致した。
 

この行動記録と汚染地図を組み合わせ、事故後4カ月間の外部被ばく線量を推計した結果、村民の平均値は7ミリシーベルトとなった。
 

福島県も、県民健康調査の中で、事故直後の外部被ばく線量を調べている。手法は今中さんらに近い。事故後4カ月間の行動記録と、国が測定した線量のデータから推計する。これまでに結果が出た飯舘村民は3000人あまり。外部被ばく線量の平均は3.6ミリシーベルトだった。
 

今中さんは「県の調査はかねて不透明さが指摘されてきた。使っているデータも私たちと県では違う。行政から独立した立場の専門家として推計を出したことに私たちの調査の意義がある」と強調する。
 

前出の長谷川さんが実感した初期被ばくの状況は、今中さんらの調査と重なる。自身の外部被ばく線量は、村の平均を大きく上回る13.4ミリシーベルトだった。
 

長谷川さんは県の調査には応じていない。理由は明快だ。
 

「行政側は自らの責任回避のために事故の影響を小さく見せたがる。県に行動記録を提供しても、まともに計算するとは思えない。原発の危険性を冷静に見つめてきた今中先生の方が信用できる。深刻な数値が出たとしても、事実としてそれを受け止めるしかない」
 


[デスクメモ] 
東日本大震災から3カ月後、福島県相馬市で50代の男性酪農家が自ら命を絶った。「原発さえなければ」。借金で建てた堆肥舎の壁には、悲痛な叫びがチョークで書き付けられていた。仲間の長谷川健一さんは「自分の村のことで精いっぱいで、彼の相談に乗ってやれなかった。今も悔やんでいる」と語る。(圭)




Photo

2014512日 東京新聞:こちら特報部 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014051202000155.html

 

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