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2014年3月11日 (火)

気になるニュース 488

 

確かに周囲と自分の温度差に愕然とする・・・
引用書き起こし開始。

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*新旧住民不和も 避難民流入 いわき市の影


福島県浜通り地方の被災地といえば、福島第一原発周辺の避難指示区域に注目が集まるが、いわき市も地震、津波、原発事故の後遺症に苦しみ続ける。同市の復興に複雑な影を落とすのが、原発事故による避難者の存在だ。元の住民との間ではあつれきも生じている。東日本大震災からきょう11日で丸3年。現地を歩いた。(鈴木伸幸、出田阿生)


◆新居まだ 流浪

打ち寄せる波の音が響き、穏やかな海風が潮の香りを運ぶ。がれきは片付けられ、すっかり更地になった福島県いわき市北部の久之浜町。ポツンと1本だけ立っているモチノキの根元に、会社員の新妻憲一さん(42)は、弟の篤さん(40)と一緒に花束を手向けた。「あれから3年か…」。震災で亡くなった母親の光子さん=当時67=を思った。

久之浜町は大津波に襲われ、続いて大規模火災に見舞われた。福島第一原発から30キロ圏の同町には避難勧告も出た。ほどなく解除されたが、復興は大きく遅れた。光子さんの遺体ががれきの下から見つかったのは震災の1カ月半後だった。

モチノキは光子さんが植えた。津波で家は流されたが、モチノキは奇跡的に残った。母親と2人暮らしだった憲一さんは何かあればモチノキに相談する。今後の生活は不安だらけだ。

自宅の土地は区画整理され、図面上は所有地が決まった。だが、それまでに一苦労。「50坪の土地が4坪も減歩された。元の広さに戻すために何度も交渉した」。土地が引き渡されるのはまだ先で、家を建てられるのは早くて来年末。一方、市の借り上げ住宅を使えるのは来年3月まで。その間は宿無しになる。

自宅の新築費用はローンを組むしかない。「震災直後に『避難しろ』と言われ、茨城の親戚宅に世話になった。それからは社宅、そして今の市の借り上げ住宅。いまだにフラフラとしているような感じだ」

同じ久之浜町で被災した吉原美代子さん(59)は、地縁も血縁も洗い流されていた。嫁いだ先で夫を早くに亡くした。義母のマツさんと2人で、24年間も家業の酒屋を切り盛りしながら、3人の子どもを育ててきた。

「震災当日は義母と2人で首まで海水につかりながらも自宅の2階に上がって何とか助かった。心臓にペースメーカーが入っていた母は、夫の姉が引き取りにきた」と振り返る。

吉原さんは東京の親戚宅に避難し、しばらくして被災者を受け入れるいわき市内の公営住宅に入居。障害者施設でヘルパーとして働きだした。

心配の種はマツさんだったが、「相続の問題で義姉との関係が悪化した。元気だった義母は心労もあって、震災から12カ月後に89歳で亡くなった。葬儀には呼ばれなかった」

子どもたちには「お母さん、忘れて、新しい生活をしよう」と励まされた。吉原さんは寂しげにつぶやく。「原発事故がなければ義母と暮らせたのではと思う。もう久之浜に行くことはない」


◆新旧民 共生探る

いわき市の内陸部で被災は免れた農家の酒井正行さん(65)は、市内の被災状況を写真に撮り続けている。いま最も心を痛めているのは、原発事故で市外から避難してきた約23000人もの「新住民」の問題だ。

いわき市は人口約328000人の中都市だが、大量の「新住民」を受け入れるのは容易ではない。病院の混雑や交通渋滞が社会問題化した。アパートは不足し、不動産価格も上がって新婚カップルが新居を構えようにも難しい。

市役所や公民館など4カ所では2012年の暮れ、黒いスプレーで「被災者帰れ」と中傷する落書きが見つかった。仮設住宅にロケット花火が撃ち込まれ、乗用車の窓ガラスが割られた。

「当初、元の住民は避難者を温かく迎えたが、長期化して先が見えないと不満も募る。『あの被災者は補償金で外車を買った』 『働きもせず、パチンコに行って、飲み屋通い』といった中傷もよく聞く。そんなあつれきはいつまで続くのか。原発事故の弊害は、まるでがん細胞のように増殖している」と酒井さんはうなだれた。

避難者の気持ちを聞きたくて、いわき市内にある富岡町の仮設住宅に足を運んだ。集会室では、女性たちが「被災地を忘れないでほしい」と各地で販売するタオルハンガーを作っていた。ここでも、乗用車が傷つけられる事件があった。支援活動を続ける地元の牧師、増井恵さん(46)は「故郷に帰れる見通しが立たず、家族離散した避難者の苦しみは、補償金では解決しない。自分だって、仕事もなく狭い仮設にいればパチンコや酒におぼれるかもしれない」と話す。

仮設住宅の女性たちのまとめ役となっている西原千賀子さん(65)は「いつまで仮設暮らしが続くのか。事故直後は、混乱が収まれば何とかなると希望を持っていた。ある程度落ち着いた今の方がつらい。時間がたつほど、明確な目標が見えなくなった」と嘆いた。

西原さんは先日、全国放送のテレビ番組で、いわき市の仮設住宅を訪れた出演者が「まだ仮説があったのか」と発言したのを聞いてぼうぜんとした。「ポッと出た言葉だった。都会の人にとっては『終わった話』なのかなと思った」

避難者が不安を訴えるのは、この「温度差」だ。夫が原発関連の仕事をしているという女性(56)は「東京五輪の開催はうれしい。でも今でも不足している資材や人手が、新しい競技場の建設にいってしまったら、復興はどうなるんだろう」と心配する。「国は被災地を忘れ去って、東京のことしか見ていないんじゃないか」

政府が立ち入りや事業活動を制限する避難指示区域は「帰還困難区域」 「居住制限区域」 「避難指示解除準備区域」に分けられるが、富岡町は3区域に分断されている。いわき市内に家を建て、最近仮設を出たという佐藤スミ子さん(68)は「細い道路1本隔てて線量がどれほど違うのか、よく分からない。あっちに置いてきた自宅のことは死ぬまで忘れられない」

いわき市での取材後、西原さんがあらためて記者に電話をかけてきた。「私たちが不平不満を言いたいわけじゃないことを分かってほしい。全国のみなさんの支援に感謝するためにも、1日も早く自分たちの力で生活を立て直したいだけ。帰還できないのならできないと責任を持って政府に宣言してほしい。今のままだと前に進めない」


[デスクメモ]
こちら特報部は震災から半年後、ルポ「あの被災地を忘れない」を連載した。相対的な被害の小ささゆえに、情報の谷間に取り残されがちな「忘れられた被災地」。私は岩手県野田村を取材した。福島県いわき市も登場している。部長以下、デスク4人と記者8人の小所帯だが、原発と震災の総体を追い続ける。(圭)



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2014311日 東京新聞:こちら特報部
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014031102000150.html

 

 

 

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