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2013年8月16日 (金)

気になるニュース 182

 

Webでは見当たらなかったので
引用書き起こし開始。

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9条 日本が育てた

戦後68年 元米海兵隊員として ウチナンチューとして



戦争放棄を掲げる憲法9条まで視野に入れた改憲論。そして、憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を認めようとする政権の動き。戦後日本の針路が大きく揺らいでいる中で、68回目の終戦記念日を迎えた。米軍が新型輸送機MV22オスプレイを追加配備した沖縄は、今なお戦争の傷跡に苦しんでいる。元米海兵隊員で那覇市に住む米国人政治学者ダグラス・ラミスさん(76)と、戦火を生き延びた元沖縄県議の瑞慶覧長方(ずけらんちょうほう)さん(81)。異なる立場のウチナンチュー(沖縄の人)2人に平和への願いを聞いた。(垣見洋樹)



◆アメリカは沖縄を戦利品と思っている

開発段階から墜落事故が絶えないオスプレイの追加配備が進んでいた今月5日、米軍基地キャンプ・ハンセン(沖縄市宜野座村など)に訓練中の米軍ヘリコプターが墜落した。

アメリカはまだ沖縄を太平洋戦争の「戦利品」だと思っている。事故後の米軍の対応を知って、僕はそう感じました。現場上空に報道のヘリが近づかないように命令したんですから。
2004年の8月に輸送ヘリが沖縄国際大学に墜落した時も同じでした。大学の構内に日本人が入らないように、憲兵隊がピストルを持って封鎖した。日米地位協定があっても、米軍は自分たちの都合次第で沖縄を利用しています。
僕はそういう態度が嫌だった。だから海兵隊を除隊しました。

米海兵隊員として19604月から1年間、返還前の沖縄でキャンプ瑞慶覧(ずけらん)(宜野湾市など)に駐留。終戦から15年がたっていたが、そこで出会った沖縄の人々がその後の人生を変えたという。

学生のころは、軍隊がなければ国を守れないと思っていたんです。当時はソ連との冷戦の時代でしたしね。
でも、実際に入隊して派遣された沖縄で、だんだん苦しくなっていった。僕は占領国の一員。沖縄の人たちと対等な関係を築けないことが、鳥肌が立つほど嫌になったんです。
あるとき、いつも部屋の掃除や洗濯をしてくれていた沖縄の女性たちとバレーボールをしたんです。隊員たちは仲良く楽しむつもりでしたが、試合が始まると女性たちはまるで違う。みんな、全然笑わなかったんです。
隊員の手がネットを超えると「反則だ」と言って、ボールを渡さない。なだめても一歩も引かなかった。本当に真剣だった。その時初めて知りました。ふだんにこにこして働いてくれていた沖縄の人たちが、本当は屈辱を感じてわれわれ米軍に怒っていたんです。

駐留している国なのに、その国の人のことをまるで知らない。ラミスさんは日本に残ることを決め、沖縄に駐留して1年後に除隊した。戦争や日本の平和憲法を深く考えるようになったのは、それからだった。

日本語を勉強しようと関西の大学に通ったのは、ちょうど60年安保闘争が終わったころ。僕はよく、クラスメートに喫茶店に誘われた。そこで「何だアメリカは」と責められました。
みんながアメリカ人の僕に言ったのは、平和憲法のことです。自分たちは戦争を知っていると言いました。当時の学生は大阪空襲のころに生まれた世代。戦時中、アメリカの学生だった僕が知らないことを、彼らは実際に経験していました。
戦争を知っているから、平和憲法の大切さが分かる。「だから、二度と戦争はしない」。彼らは何度もそう言った。僕はそれが、日本人の決心だと思ったんです。戦力を放棄する9条がある一方で自衛隊が存在するのはたしかに矛盾するけれど、米軍が沖縄から戦場に兵士を送り出しても、日本は戦後70年近く、武器を持って人を殺していないんです。
だから僕は思います。9条をアメリカの「押しつけ」と言う人もいますが、もし仮にそうだとしても、9条を育ててきたのは日本人自身なんです。


◆基地のこと 本土の人たちも考えてほしい

政治学者になり、東京の大学を退職して2000年に移り住んだ沖縄には、在日米軍基地の75%が集中する。ラミスさんは沖縄に住む一人として、基地問題は日本全体で考えるべき問題だと話す。

ヘリの墜落でも分かる通り、オスプレイの配備には米軍の身勝手さがあると思います。大陸などで何かがあったときに、軍隊を運ぶバス。日本を守るためではありません。
でも、そもそもの出発点として、なんで沖縄にこんなに基地が集中しているのか、なぜ本土ではないのか、あらためて考える必要があると思います。東京から沖縄に来た平和運動家の女性が「こんな所に住めない」と言ったことがありました。本土の人たちにとっては、うちの街に基地がなくてよかったという無意識の安心感があるのかもしれません。
僕はアメリカ人だから、ウチナンチューの本当の心は語れません。ただ、沖縄に住んでいるからこそ見えてくることもある。本土の人たちも、沖縄の問題を自分のこととして考えてほしい。平和憲法を育ててきた日本人には、それができるのではないでしょうか。


[ダグラス・ラミス 米サンフランシスコ生まれ。西洋政治思想史研究者。カリフォルニア大バークレー校を卒業後、1958年に米海兵隊入隊。沖縄駐留を経て61年に除隊し、日本に残って平和活動に携わる。2000年に津田塾大教授を退職。現在は那覇市で沖縄出身の妻と長男、長女の4人暮らし。]


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沖縄戦を体験した元県議 瑞慶覧長方さん(81


◆解釈改憲で 戦争は静かに忍び寄る

沖縄戦最後の激戦地、糸満市摩文仁(まぶに)から北へ約8キロ。サトウキビ畑が広がる南城市大里で農業を営む瑞慶覧さんは、今年の終戦記念日を複雑な気持ちで迎えた。集団的自衛権の行使容認に前向きな声が、国政レベルで出始めているからだ。「軍国主義に戻ろうとしているのか」。子どものころに聞いた軍靴の音が近づいているような不気味さを感じている。


集団的自衛権は、米国などの同盟国が攻撃を受けた場合、日本が直接攻撃を受けていなくても実力で阻止する権利。国は1981年の政府答弁から「憲法9条のもとで許される実力の行使を超え、許されない」との解釈を示してきた。

行使を認めれば、他国の戦争に巻き込まれる可能性がある。戦争体験の語り部として全国で講演している瑞慶覧さんは大きな不安を感じるが、13歳で目の当たりにした戦争のもう一つの悲劇の記憶が、どうしてもよみがえるという。

終戦間際。既に米軍に投降していた1人の日本兵が、瑞慶覧さんらにも投稿を呼び掛けた。それを隠れて見ていた3人の日本兵が、「このスパイ野郎」と叫びながら兵士の首を切り落とした。「沖縄戦の最後は、日本兵同士が殺し合ったんです」

安倍晋三首相は今月8日、内閣法制局長官に、集団的自衛権の行使容認派の小松一郎駐仏大使を起用する人事を決定。首相自身、容認に積極的な姿勢を示している。瑞慶覧さんは戦争放棄をうたう9条を含む改憲論にも異を唱えてきたが、憲法の解釈変更で自衛隊を戦地に派遣できるようになる「なし崩し」に、より怖さを感じる。

8歳のときに尋常小学校が国民学校に変わり、知らない間に軍国教育が始まった。「気付いたときには戦争。なし崩しとはそういうもの」。戦争は静かに近づき、人間から人間らしさを奪ってゆく。約24万人が命を落とした沖縄で、今年の終戦記念日も「二度と戦争への扉を開けてはならない」と訴える。


Ts


2013816日 東京新聞朝刊 9面特集より 

 

 

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