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2013年6月 2日 (日)

気になるニュース 77

 

そういう人がいたんだ・・・
引用書き起こし開始。 

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*脱原発 母の遺志継ぐ  「泊」に反 市民団体創設者の娘 


脱原発運動に取り組む中、3月に56歳で亡くなった泉かおりさん=札幌市=の遺志を継ごうと、国際政治学を学ぶスウェーデンから一時帰国している長女の明香里(あかり)さん(24)が活動を始めた。母が繰り返し訴えていた「東京電力福島第一原発事故を忘れないで」との願いを国内外に伝えるつもりだ。 


◆「福島の事故忘れないで」 世界に訴え

「福島の子どもたちのために走るよ」。525日、札幌市の北海道インターナショナルスクール。明香里さんのかけ声で、同校の生徒や福島からの避難者ら40人が走り始めた。弟の櫂(かい)さん(15)が通う学校で、チャリティーマラソンを企画し12万円を集めた。「脱原発運動で道内外の人々をつないだ母のように、私も橋渡しになれたかな」

母のかおりさんは福島の原発事故後、20115月に脱原発の市民団体「Shut(シャット)泊」を創設。主に北海道での脱原発運動の中心で活動した。札幌でのデモや、北海道電力や道庁への要請、署名活動などを展開。得意の英語を生かし、国連などの国際機関にも訴えた。泊原発3号機の運転差し止め訴訟で原告団共同代表も務めた。

北海道出身のかおりさんは、国連食糧農業機関(FAO)職員として長年アフリカ支援に携わった後、09年に、親族が暮らす札幌に戻った。1110月から胃がんで闘病しながら、活動を続けていたが、37日に亡くなった。

明香里さんはノルウェー生まれで、父はノルウェー人。スウェーデンの大学院で国際政治学を学んでいた昨年末、母の看病のために帰国。母の死後「脱原発運動で命を削ったのではないか」とふさぎ込む日々が続いた。

転機になったのは今年3月末、母が共同代表だった「福島の子どもたちを守る会・北海道」の活動を手伝った時だ。福島から札幌近郊へ保養に来た親子19人の世話をし、幼いころの母に関する記憶がよみがえった。

ノルウェーで、母に難民センターへ何度も連れられて行き、ボスニアやルワンダの内戦から逃れてきた家族と交流した。ジンバブエでは自宅に孤児数人を住まわせ、明香里さんらが「孤児院を開くの」と尋ねたほどだ。

「母は女性、子供、障害者といった社会のしわ寄せを受けやすい人を支えていた。原発も、立地している地域や作業員ら一部の人にリスクを押し付けるものだから見過ごせなかった」。母の生き方は、脱原発運動とも重なっていると気付いた。得意の英語を生かし「福島の子どもたちを守る会」の英語版ホームページ制作にも取り組む。

近くノルウェーに戻り、新たな大学院に移る予定。母と同じく国際機関で働くことが夢だ。今後は欧州で、15万人が古里に戻れない福島の現実を伝えるイベントを開く計画だ。明香里さんは言う。「原発事故のリスクはその国の弱い人たちが負うのです。『フクシマを忘れたら危ないよ』という母の言葉を世界の人々に伝えたい」


201362日 東京新聞朝刊 こちら特報部:ニュースの追跡より



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