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2013年4月10日 (水)

気になるニュース 4

バラ色とアトム・・・。
書き起こし引用開始。

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*原子力報道 チェック甘く


福島原発事故は、これまでの原子力報道の失敗の結果だ─。元新聞記者で、科学部長などを務めた柴田鉄治さん(78)が、戦後から福島事故まで原子力をめぐる報道を検証し、本にまとめた。そこで挙げた5つの失敗とは。(荒井六貴)


◆原子力報道の5つの失敗

1 バラ色とアトム記者の195060年代
原子力の特異性を強調しなかったメディア

2 原発建設と反対派が登場した70年代
推進側より反対派に厳しかったメディア

3 原発事故が相次いだ8090年代
メディアの批判は原子力ムラに届かず空振りに

4 原子力安全・保安院の誕生
原子力行政をチェックできなかったメディア

5 福島原発で過酷事故が起こる
発表に依存し「何が起こったのか」に肉薄しなかったメディアが大半


◆元記者、戦後から検証

「メディアは原発推進側の発表に沿って報道することに慣れ、原子力ムラにも、原子力行政にも、チェック機能を果たすことができなかった」

柴田さんは自省を込めて、こう振り返る。

東京大理学部物理学科を卒業後、1959年に朝日新聞に入社した。日本で初めての原子力施設「日本原子力研究所(原研)」が設置された茨城県東海村をカバーする水戸支局を振り出しに、福島支局長や社会部長などを歴任した。

5つの失敗とは何か。第1は、日本の原子力が始まった5060年代にあるという。原研は578月、国内初の臨界に成功した。「各社は科学記者を置いて報道合戦を繰り広げた。原子力ブームは続き、土産物店では原子力まんじゅうやヨウカンが売られていた」

被爆国ながら原子力の「軍事利用は悪、平和利用は善」と位置付け「核ごみの処理技術はない負の面を知っていたが、精神論を掲げて負けた太平洋戦争の反動で、科学技術への信仰があった。自分も原爆のエネルギーが平和利用できたら、すばらしいと思っていた」。

2に、原発に反対する住民運動が70年代に起きても、メディアが推進側を支持した。「公害や環境問題で報道が警鐘を鳴らしたが、原発には甘く、科学部記者が『非科学的だ』と反対派を批判し、逆に原子力の有用性を知らせていた」

79年のスリーマイル島や86年のチェルノブイリの事故で流れが変わり、報道は原発批判を強めたが、ムラの意識を変えることができなかったのが第3の失敗という。

81年の福井・敦賀原発の放射能漏れ事故当時は科学部長だった。人体に影響がないレベルだが大きく報じたところ「ムラは『つまらないことで騒ぎすぎ』と真剣に受け止めず、その後事故隠しを続けた。体質を変える努力が足りなかった」。

4は、原子力行政を激しく批判できなかったことだ。作業員2人が死亡した東海村のJCO臨界事故を契機に、2001年に原子力安全・保安院が新設されたが、原発を推進する経産省の傘下に。「規制役と推進役が一体となることはおかしいのに、ほかの省庁再編に目が奪われていた」

5は福島事故の報道だ。「多くは、国の発表による戦中の大本営発表と同じだった。住民はまだ原発近くにいるのに、危険だと現場に入らなかった。何が福島で起きているか分からなかった」

こうした分析をまとめたのが「原子力報道」(東京電機大学出版局)だ。柴田さんは「失敗を将来に生かすために、自らの報道を常に検証していく作業を繰り返すべきだ」と訴えた。

検証の重要性について丸山重威・元関東学院大教授(ジャーナリズム論)は「報道は『伝える』という意味で、体制側の補完的な性格もあるが、それはジャーナリズムではない。正しいことを言っていく『論じること』が必要で、福島事故の報道では弱いメディアも多かった。検証していくことで、本当のジャーナリズムを取り戻すことにつながる」と話している。


201348日 東京新聞 こちら特報部:ニュースの追跡 より


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