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2013年4月19日 (金)

気になるニュース 15

 

復興ってなんだろう・・・。
引用書き起こし開始。

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*帰村率16%という現実 役場が戻ってから1年、川内村のいま


村の約四割が福島第一原発から20キロ圏内にある福島県川内村。昨年41日、村役場が避難先から戻され、住民の帰還が始まった。それから1年。帰村した住民の比率は約16%にとどまる。「除染から帰還へ」というシナリオ通り、主要地区の放射線量は下がったという。それでも住民たちは戻らない。「復旧」「復興」という標語と現実との距離は短くない。(小倉貞俊、林啓太)


「それでは国語の学習を始めます。礼」。18日朝、村立川内小学校。教室中央にぽつんと置かれた机の前で、3年生の小林朋徳君(8つ)が大きな声で号令をかけた。

担任の教諭と2人きりだ。小林君は同校で唯一の3年生。避難先の東京都から帰村した。「同級生が少なくなって寂しいけれど、自然が豊かな古里に戻って来られてうれしい」とはにかむ。

同小の新年度の全児童数は24人。昨年度より8人増えた。しかし、114人いた震災前の約2割にとどまる。川内中学校でも2人増の16人だが、震災前の55人には遠く及ばない。

なかなか帰村が進まない。村が昨年2月に実施した村民アンケートによると、帰村しない最大の理由は「放射能被害が怖いから」だった。

村は先月末までに、全住宅(1203戸)の除染を完了した。現在は生活道路や農地の除染を進めている。だが、除染が終わった住宅のうち、約4割で空間線量が目標値(毎時0.23マイクロシーベルト)以下に下がっていない。

住民帰還が進まないため、商店や働き口になる事業所も少なからず休業を続けている。村商工会によると、加盟する96の事業者のうち、再開したのは55業者に限定されている。

村の東隣で原発立地自治体として潤っていた富岡町や大熊町が、原発事故で壊滅的な打撃を受けた影響も深刻だ。川内村の住民にとって、両町は勤め先や買い物などで生活圏の一部だった。

1年前に帰村した主婦朝倉節子さん(61)は「買い物は事故前、車で30分くらいの富岡町に行っていた。今は西に1時間かけて通う」と話す。

基幹産業である農業はどうなったのか。村は今年、2年ぶりにコメの作付けを再開する。コメ農家支援のため種籾を無償提供しているが、再開を決めたのは約500戸(500ヘクタール)のうち、90戸(90ヘクタール)にすぎない。

村は昨年、30地点でコメを試験栽培。玄米から1キログラム当たり7.7ベクレルを検出した1地点のほかは検出限界値未満だった。「一般食品の安全基準は100ベクレル。問題はない」(村農村振興課)。しかし、農家には風評被害を恐れる声が絶えない。

農業猪狩邦之さん(84)は「売れなかったり、買いたたかれるのが怖い。今年は少なめに作るつもり。先祖代々受け継いできた田んぼだし、米作りは人生の一部でやめたくはない。でも、赤字だよ」と浮かない表情だ。

村も帰村を促すために手をこまねいているわけではない。職を確保するため、事故後、4件の企業を村内に誘致した。

「誘致第1号」は、昨年12月から本格稼働している金属機械加工「菊池製作所」。廃校になった高校の校舎を改装して工場にし、地元出身者ら32人が職を得た。

その一人、小野庄一さん(50)は、原発20キロ圏内の避難指示解除準備区域に自宅があるため、家族6人で平田村に避難している。「何年かかっても、一家で川内村に戻ってくるのが夢。当面、子どもたちは仕方がないにしても、自分の仕事だけでも見つけ、帰村への足掛かりにしたかった。ありがたい」と語る。

ほかにも、村は村営の診療所の診療科目を増やしたり、商業施設の整備を計画している。

今後の焦点は若年層の帰村をどう促すかだ。20歳以下の約320人のうち、帰村したのは26人と8%にすぎず、コミュニティーの危機を迎えかねない。

昨年7月、郡山市の仮設住宅から戻った農業猪狩カツエさん(81)は「高齢者には故郷の自宅で暮らせるのが何よりうれしい。だが、若い人たちは避難先の方が便利だし、知り合いも増えて住みやすいのだろう。村の行く末が心配」と話した。

◆「村内の店だと割高」

川内村の住民はなぜ戻らないのか。

「郡山市の仮設は、夫が川内村で生活していく上での『ライフライン』になっている」。郡山市内の仮設住宅の管理会社で働く三瓶ヒロミさん(47)はそう切り出した。

三瓶さんは小学5年の三男(10)と仮設住宅に住む。一方、村内の養豚所に勤める夫(55)は村に残っている。現在は夫婦で週に数回、市内の大型スーパーで買った食材を村に運ぶ。「村内の店で食材を買うと、食費が割高になる。二重生活が成り立たない」という。

村に家族ごと戻らない理由は「福島原発では相変わらず、停電や漏水など事故が絶えない。仮設住宅は緊急時の避難先になるから」と話す。

子どもの健康を案じる声も強い。小学1年生の長男(6つ)と長女(2つ)を育てる主婦遠藤和泉さん(27)は「自宅の除染は終わったが、近くに山がある。放射性物質が雨水と一緒に流れてくると考えると、心配だ」と語る。

土木工事業吉田和浩さん(49)は「川内村の子が通ってきた双葉町などの高校が再開できていない。郡山市やいわき市などに生活の基盤を移した方が、子どもらの進学には有利だ」と説明した。

避難生活が長引き、高齢者にも即時の帰村をためらう理由が出てきた。仮設暮らしによって、目まいや頭痛に悩まされる高齢者も増えている。そうした病弱な高齢者たちにとって、医療機関がそばにある街での暮らしは「命綱」でもある。

狭心症の持病がある義母(86)の介護をする主婦(70)は「義母は事故後、郡山市内のデイサービスに通い始めて、そこで友達もできた。ここで帰村すると、再び環境の激変から病状が悪化するのでは」と懸念する。

村での畑仕事を生きがいにしてきた高齢者も、帰村をためらっている。無職女性(82)は「畑で野菜を作って親戚や孫に送って喜ばれていた。今はいらないといわれる。自分のためだけに作っても張り合いがない」。

この2年で避難先の便利さに慣れたことも、帰村を妨げる理由になっている。会社員の遠藤友樹さん(27)は「郡山では、病院も商店も近い。タクシーもすぐに呼べる。この生活に親しんでしまった感覚を元に戻すことは難しい」と語った。


[川内村] 

昨年1月、ほかの避難自治体に先駆けて「帰村宣言」を出し、同41日から村で役場機能を再開させた。村域の約4割は居住制限区域(年間放射線量20ミリシーベルト超~50ミリシーベルト以下)か避難指示解除準備区域(同20ミリシーベルト以下)。村によると18日現在、人口2828人のうち、完全な帰村者は456人。仕事や学校のため、村に週4日以上滞在する人は約800人。

[デスクメモ] 

改憲論者が憲法前文を「空疎」と評す。同じ口から原発の再稼働がしばしば漏れる。そこから改憲論の空疎さが透けてくる。敗戦直後、保守派の巨人、柳田国男は「新国学談」にこう記した。「日本人の予言力は既に試験せられ、全部が落第といふことにもう決定した」。福島の現実はその延長にある。(牧)


2013419日 東京新聞 こちら特報部
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2013041902000149.html

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